本日、今年度最後の授業参観を実施しました。
今回も1月と同様に参観人数に制限を設けさせていただきました。
1年生と2年生は体育、3年生は国語や総合的な学習などを含めた合科的な学習発表会、4年生は総合的な学習の中で二分の一成人式を行いました。5年生は社会科と外国語、そして、6年生は外国語と総合的な学習でプログラミングを行いました。
今年度最後の授業公開ということで、子どもたちの張り切った姿がみられました。
参観してくださった保護者のみなさま、ありがとうございました。
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本日、今年度最後の授業参観を実施しました。
今回も1月と同様に参観人数に制限を設けさせていただきました。
1年生と2年生は体育、3年生は国語や総合的な学習などを含めた合科的な学習発表会、4年生は総合的な学習の中で二分の一成人式を行いました。5年生は社会科と外国語、そして、6年生は外国語と総合的な学習でプログラミングを行いました。
今年度最後の授業公開ということで、子どもたちの張り切った姿がみられました。
参観してくださった保護者のみなさま、ありがとうございました。
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今、図書室では特別な本が期間限定で貸し出されています。
それは、3年生と2年生が作った創作絵本です。
内容も独創的で、挿絵も完全オリジナル。
まさしく、世界に一冊だけの、とても貴重な作品です。
どれも人気で、日々入れ替わりで借りられていて、とても好評です。
将来、作家になって芥川賞を受賞するかもしれませんよ!
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今週初め、卒業を来月に控えた6年生に、教頭先生がはなむけの読み聞かせをしてくれました。
作品の作者は向田邦子さんです。
向田邦子さんは、テレビドラマの脚本家であり、エッセイスト、そして小説家として様々な作品を残し直木賞も受賞された昭和を代表する作家です。
今回は、『父の詫び状』という随筆集の中で「ごはん」という作品を読んでくださいました。
聴きやすい声量とトーンで朗読してくれたので、心にすっと内容がしみわたり、戦争,
そして,家族について深く考える機会となりました。
15分ほどの短い時間でしたが、6年生にとって、心のこもった贈り物になりました。
コメントする本日、第2回児童総会が開かれました。1年間の活動について、全体で、また、自分たちの学年で、どのように取り組んできたかを発表し合い、成果と課題が確認されました。
今年度は、コロナ禍での活動となり、予定が思うように実行に移せませんでした。しかし、現執行部ができることを探りながら計画をし、これまで活動を進めてきました。
例年通りにはいかない中で、思うような活動ができなかったという反省も出ましたが、児童会役員の工夫や児童のみんなの協力のおかげで、どのクラス・どの児童からも、意識が高い活動につながったと意見が述べられていました。
総会の終盤に、今年度役員から次期役員に引き継ぎが行われました。
バトンを受け継いだ5年生は、今までの6年生のリーダーシップをお手本に、ますます市川南小児童会の活動を発展させていってもらいたいと思います。
コメントする先日、ある保護者が来校されました。用件が済み正面玄関から出たところで、ふと立ち止まり、脇に倒れていた植木鉢を直して帰られました。何のためらいもなく自然な仕草で直されてお帰りになったその後ろ姿をしばらく見送りました。
植木鉢の花はすでに枯れ、軽くなってしまっていたので、おそらく風で倒れてしまったのでしょう。その状態に気づかずにいたことを申し訳なく思いながらも、その保護者のしてくださったことに、とても感動しました。
常々、本校は保護者のみなさんのご理解とご協力に助けていただいていると思っています。このことについては機会あるごとに、直接お話しし、また、文章にしてきました。それは単なる社交辞令ではありません。
本校の児童が、思いやりにあふれ、やさしく素直に育っているのは、今ご紹介した方をはじめとする保護者のおかげである、そして、みなさんを包み込み、このような良心を普通に表現できる地域のおかげであると思っています。
これまで、子どもたちには、「レベルの高い普通をめざそう!」「自分の力を人のために!」「恩送り」などの言葉を伝えてきました。
おそらく保護者の方は、日頃から子どもたちの目の前で、上記の言葉を体現してくださっているのでしょう。その姿の一場面を今回この目で見ることができたと思いました。
これからも、職員一同、気を引き締めて、保護者の方々と地域のみなさまにと三位一体となって、子どもたちの成長のために力を尽くしていきたいと改めて決意しました。
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市川南小学校の学区である大同地区の歴史は古く、地区の一部である黒沢は、大木大和守の領土であったそうです。後土御門天皇の時代に、大和守の子どもが今の大木に住み、ここに一部落をつくったのが始まりだといわれ、その後、居場所を黒沢に移したそうです。
後に、武田氏が関所を設けて、甲斐二十四関の一つとして知られました。徳川時代には、甲斐の三河岸の一つとして発展しました。
明治の当初は、黒沢、下大鳥居、八之尻、羽鹿島の四カ村でしたが、明治八年一月に、黒沢下大鳥居が合併して、豊和村となりました。その後、八之尻、羽鹿島、豊和の三カ村で組合を設け、五十年余り過ぎたのちの昭和十七年七月一日に、大同村になったそうです。
その後、時の流れとともに移り変わり、今の大同地区になったということです。
〔参考文献:山梨県町村合併誌〕
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